婚礼の歴史history

イメージ:婚礼の歴史

1980年から受け継がれた思い出の場所で

N&M様

  • 挙式スタイル教会式
  • 披露宴会場銀河の間
  • 季節
  • 人数約40名

山の上ホテルをお選びいただいた理由

私(新婦)の母は未婚の母でした。そのため、母の家族みんなで一緒に住み、協力して私を育ててくれたのですが、なかでも叔母(母の妹)夫婦には赤ちゃんの頃から可愛がってもらって、色々な事を教えてもらいました。私が13歳の時には、一緒に家庭裁判所に行って、正式に叔母夫婦の養子になりました。これは私の将来を考えた時に片親では支障があるかもしれないと家族で相談して決めた結果でした。

そんな叔母夫婦は、1980(昭和55)年10月1日に山の上ホテルの銀河の間で人前結婚式・披露宴を行いました。法政大学出身で、学生のころから神田の古本屋街や喫茶店が大好きだったので、その近くでお料理も美味しい山の上ホテルを選んだそうです。

私は小学生の時、神田駿河台の水泳教室に通っていましたが、山の上ホテルがある坂道の前を通るたびに、「ここの天ぷらはすごく美味しくって、歴史のあるとてもいいホテルなのよ」と叔母にも祖母にも言い聞かされていました。確か、中学受験に受かった時のお祝いも山の上ホテルの天ぷらだったと思います。

だから、結婚式をすることになった時、真っ先に山の上ホテルが思い浮かびました。叔母は喜んで、すぐに山の上ホテルに電話してウェディングのパンフレットを取り寄せてくれました。他の会場も見学しましたが、チャペルの美しさと、歴史がありどことなく上品な雰囲気、そして美味しいお料理がとても気に入り、決めました。後から聞いたら、新郎の親族の結婚1周年も山の上ホテルで食事をしたそうです。山の上ホテルに思い出のある方は想像以上に多いようです。

結婚披露宴の感想と未来の山の上花嫁へ

担当のプランナーさんは、打ち合わせのたびに「宿題」と称してたくさんのやることリストをくださいました。小学校の宿題のようで初めはなんだか嫌でしたが、そのおかげで、新郎とふたりで協力し一つずつクリアしていき、準備万端で結婚式当日を迎えることが出来たと思います。私の色々な質問にもすぐにご回答をくださり安心できました。本当にありがとうございました。夫婦としても、結婚式の準備を通して、お互いのことをよりよく知ることができたので、そういう意味でも結婚式をやってよかったと思っています。

コロナの影響で、結婚披露宴のゲストは予定よりも20名ほど減って42名でしたが、私達夫婦がやりたかった事を全部させて頂き、コロナ感染対策にも気を遣いました。結果として、複数のゲストから「温かみと思いやりのある、とてもいい式だった」と言って頂くことができました。

山の上ホテルの宴会場は他のところに比べると小さいですが、その分、新郎新婦の高砂席とゲストの席が近く、温かみのある披露宴にすることができると思います。

また、日本食の天ぷらは揚げたてが提供されました。衣装チェンジのために中座していた新郎新婦にもゲストとは時間差で揚げてくださり、そのお心遣いに感動しました。ホテルの方に伺ったところ、山の上ホテルは小さなホテルなので、同時に何カ所も披露宴を行えないそうです。逆に言うと、腕のいい料理人達が1つの結婚披露宴の為に心をこめて集中して本格的なお料理を届けてくださいます。セレモニーに欠かせないウェディングケーキも一流のパティシエさんが心を込めて作ってくださいます。入刀するのがもったいないほどの美しいケーキでした。

内装に関して、下見の段階では、窓からの採光が少なく暗いような気がしましたが、当日はお花とテーブルクロスのおかげか全く気にならず、むしろ外が見えないことで、非日常的でレトロな雰囲気になっていたと思います。チャペルの正面上にあるステンドグラスも、光が差すと、とても神秘的で綺麗です。派手すぎず、上品で趣のある雰囲気で、友人が撮ってくれた写真を見て、我ながらここを選んでよかったなぁと思いました。

装花に関して、親身に相談に乗ってくださり、こちらの希望したチューリップをふんだんに使って可愛らしい装花にして下さいました。ブーケ・ブートニアもとっても素敵に仕上げて下さり大満足でした。それから音楽も、ホテル提携の音楽事務所さんの膨大なリストのなかから曲名を選ぶだけで済み、リストにない曲だけディスクを郵送すれば完了でしたので、簡単でした。

色々な結婚披露宴会場がありますが、実際に足を運んでご覧になったらいいと思います。そうしてこの山の上ホテルを見学されて、気に入って頂ければ私も嬉しいです。

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